Marelli's Family History

1 希望は永遠に刻まれる。家族の歴史の轍に(1882~1920)

(ここに掲載された内容は、2014年に他界した3世代目のマレリー家当主、ジョルジョ・マレリー Jr. によるものです。)


 ここに、 “Marelliブランド”を作り上げた、マレリー家の人々について語ること、長きにわたって愛され続けているマレリーを語ることは、イタリアという国の美しさ、歴史を語ることと同じように嬉しく思います。

 世界に知られた“Marelli” ブランドを培ってきたのは、3代に亘るマレリー家の人々でした。
私たちは、イタリアの伝統とセンスの良さ、上品さをモットーに、エレガントで高品質な製品を作り上げ、ファッションをリードしてきました。
130年を一言で語ることは難しいことですが、私自身にとっても大切なテーマであると考え、家族の歴史を語っていきたいと思います。

 私の祖父でもある、初代 ジョルジョ・マレリー(Giorgio Marelli Sr.)は、1882年、ガララーテ(Gallarate)の北の丘の上にあるCrennaという町で生まれました。Crennaの町には、中世の素晴らしい古城があります。
ジョルジョは8人兄弟の4番目でした。彼の2人の兄は建設業に携わり、もう1人の兄はアメリカへ移民し、その子供は地元警察の重要な役職につきました。

 1900年初頭、イタリアはとても貧しい国でした。私の祖父 ジョルジョも小さい頃から働き始めました。建物の内装の仕事をして、家族のためにわずかながらもお金を稼いでいました。
兄弟たちは皆、早々に自立して生活を営むため、希望を持って故郷を旅立ちました。

 1904年、ジョルジョは、カゾリ・ジュゼッピーナ(Casoli Giuseppina  私の祖母)と結婚しました。
そして1906年に“靴工房”を、ガララーテの中心であるアルネッタ通り(Via Arnetta)に開業しました。当時のアルネッタ通りは、徒歩や馬車で通る人々に便利な場所でした。
二人はそこでオーダーメードの靴を作り、靴の修理をするだけでなく、皮革売買の商売も手がけました。皮革は靴の素材としてだけではなく、馬具あるいは他の製品の材料としても需要があったからです。

 1906年、長男アルトゥーロ(Arturo)が誕生。のちに、マレリーブランドの2代目の家長となります。
1909年、次男 ペピーノ(Pepino)が誕生。それが私の父です。ペピーノはたいへん賢く、仕事においても、友人関係においても、アイデアのある人として一目置かれる存在でした。
1912年、三男フェリーチェ(Felice)が誕生。彼は企業経営者として、将来の製靴業界についてのしっかりとしたビジョンを持ちます。

 しかし時代は、第一次世界大戦へと向かっていきます。
3人の小さな子供を抱え、生活もたいへんな時代となりました。
ガララーテの周辺では、銀行からの融資、国からの援助を受けて事業をしている、大きな繊維会社がありました。人々は繊維事業に携われるように努力をしていました。
私の祖父のように小さな商人にとっては、正直な心を持ち、自分自身を信じて商売をすることのみが明日への希望に繋がりました。

 祖父の大変苦しかった時代について語りましたが、あらゆる困難に立ち向かい、希望を持って前進する祖父の教えは、私たちファミリーの中に永遠のものとして残りました。