Marelli Family History

6 永遠に受け継がれていくもの

(ここに掲載された内容は、3世代目のマレリー家当主 、ジョルジョ・マレリー Jr. によるものです。)

Giorgio&Arturo

 私のファミリーの歴史について語ってきました。
“マレリー”を作り上げた人、その名を世界中に名前を広めた人、長い辛抱と勤勉な努力により高度な技術を保ち続けた人。・・・私たちの歴史はそんな人と人とが紡いできたものです。

まず第1章は、製靴会社マレリーを創業した私の祖父、ジョルジョ・マレリー・シニアのストーリーから始まりました。そして、第2世代の3人のマレリー兄弟、アルトウーロ、ペピーノ(私の父)、フェリーチェは、祖父が始めた仕事を受け継ぎ、各自の役目を忠実に実行し、会社を大企業に発展させたのです。この3人の努力なくしては、今日もマレリーが、変わらぬエレガンスをファッションの中で継続存在することができませんでした。

私は世界の各国を旅しました。最後にもう一つ、嬉しいエピソードをお話ししましょう。
ある国へ出かけましたおり、パスポートを見たその国の入国係官が言いました。

「苗字はMARELLI?」 
「はい、そうです」
「世界で、トップクラスのメンズシューズを作られる会社ですよね」
私は笑顔で胸を張りました。「はい、そうです」
驚いたことに、そこはマレリーの靴を直接輸出したことのない国だったのです。

生産から販売まで、マレリー工場の全ての人々、親子の職人、工場責任者、販売担当役員、デザイナー、パタンナー、と全ての社員の気持ちが「最高の靴を作ろう、そして最高の靴を売ろう」と心を一つにしてきました。そんな経営努力の積み重ねが私の胸に迫ってきたことは言うまでもありません。

高いポリシーを持ち続けること。最高の品質を目指すこと。細部にわたり配慮し、トップクラスの材料を使うことにより、最高の販売効果をあげること。
成功は、偶然で到達するものではありません。“マレリー”という看板を背負い、日ごとに、年ごとに、年月を重ねて作り上げていくものです。

エピソードをもう一つ語りましょう。
昔、アフリカ、ケニアのナイロビに行ったときのことです。ホテル・ヒルトンに宿泊し、スーツケースの中に礼装用の新しい“マレリーの靴”を1足持参していました。
ある日、部屋の外にインド人の客室係が私を待っていました。
「何か用ですか?」とたずねると、彼はこう言いました。
「お客さま、お客さまはバッグの中に、”マレリー”ブランドの素晴らしい靴をお持ちです。もし、値段があまり高くなければ、購入したいのですが」
彼の足を見ると、明らかに大足でサイズは45以上です。私の靴は42サイズでした。
そこで、私は言いました。
「君の足は大きすぎて、この靴は履けないよ」
すると、彼はきらきらした目で言いました。
「お客さま、私はこのホテルで働くまで、インドで長いあいだ靴職人の仕事をしていました。“マレリー”が世界で一番素晴らしい靴だということを知っています。この靴は履かないのです。飾っておいて、時々眺めたいのです。このような素晴らしい靴は世界にいくつも存在しないのです」
私は彼の言葉に感動しました。そして、当然ながらその靴を、このインド人に贈りました。


ここで私のファミリー・ストーリーは終わりにしたいと思います。
1980年から現在まで、たくさんの変化がありました。社会がめまぐるしく変わったのみならず、家族にもいろいろな変化がありました。
何世代も続くファミリーにおいては、世襲が当たり前のように行われているように見えるかもしれませんが、次世代は違う歩みをするということもあり得ます。それも選択の一つでしょう。

Marelliファミリーの第3世代は、私の従兄弟である、フランコ、アメデオ、そして私の3人ですが、フランコ、アメデオは残念ながら、他界いたしました。また私の子ども達は、それぞれに違う道を選びました。それぞれの選択は、今イタリアが置かれている状況を見極めての選択肢であったと考えます。

現在は私の娘婿であり、皮革と繊維関係のエキスパートでもある、Alberto Mauri(アルベルト・マウリ)が、私たちMarelliの歴史を引き継いでいます。日本のマレリーブランドも、高いレベルで継続していただいていることに心より感謝いたします。
今も名だたる場所で商品として手に取ることができることは、大変嬉しく、誇るべきことであります。
携わってくださっているすべての皆様のご尽力に対して、これからも常に協力を続けていきますことを、私およびMarelliスタッフ一同、ここにお約束いたします。

ガララーテ、2013年9月30日
 3世代目当主  ジョルジョ・マレリー

Giorgio Marelli Sr
Giorgio Marelli Sr