Marelli Family History

2 誇りを持ち、生き抜く。オーダーメイドを産業化に(1920~1939)

(ここに掲載された内容は、2014年に他界した3世代目のマレリー家当主 、ジョルジョ・マレリー Jr. によるものです。)

 たくさんの国々が、困難に立ち向かうことになりました。

 祖父が戦争に行ったかどうかはわかりません。ただ一つ覚えているのは、私が子供の頃、祖父に戦争経験を聞くと、いつも涙を流して“何も覚えていないよ”と言ったものでした。それだけ、ひどい経験をしたということなのでしょう。
マレリーの家族も、親戚も、小さな子供を抱えていました。物資も何もない時代の苦労は計り知れません。

 戦争の悲惨な思い出はさておき、その次の時代について語りましょう。
戦争の傷跡は、それはそれは大きなものでした。しかしながら、私たちイタリア人はどんな時もそうであったように、国の復興に立ち向かいました。
まさにこの時期は“工業化への時代”でした。職人たちが、小さいながらも企業として会社組織をつくり上げていったのです。
私の祖父には、店の経営という大きな経験がありました。特に、“オーダーメードの靴”に関してです。また皮革の商売にも秀でていました。そして顧客のニーズをしっかりと掴み、“靴生産”を工業化していったのです。

 十分な資金はありませんでしたが、大きく気高い志は十二分にありました。
その頃のことを、父が私に語ってくれたことがあります。

「おじいさんは、製靴機械を買うために硬貨、つまり小銭をコツコツと集めたのだよ。おじいさんと私は、機械の持ち主のところへ行って、機械を譲ってほしいと、袋にたくさん貯めた小銭を持っていったんだ。するとどうしたと思う?  機械の持ち主は、怒って小銭を床に投げつけたんだ。『小銭を拾え!そして、銀行に行って紙幣にしてから出直せ!』とね」

 私は驚き、憤って、父に尋ねました。「それで、おじいさんとおとうさんは、どうしたの」と。
父は穏やかな微笑みをたたえて、こう答えました。
「もちろん、私たちは小銭をひとつひとつ拾い、銀行に行き、紙幣に交換して、機械を買いにいったのだよ」

 祖父と父の経験は、私に大切なことを教えてくれました。
それは人としての「誇り」は心の奥底に持て、ということです。
絶対に必要なものをまずは床にひれ伏しても手に入れるということ。
その上で、人としての誇りを大事に持ち続けるということです。

 父はそれを時を経て示すことができました。
マレリーが10年後、大企業となった後のことです。ある販売会社が父に資金融資を頼みに来た際、私の父は快く資金を貸し“本当の紳士”であることを示したのでした。

 その後も、少ない機械と手縫いの技術を駆使して、沢山の苦労を重ねながら事業を拡張していきました。やがて工房では手狭となり、広い工場が必要になってきました。
1928年、同じ敷地内にあった、廃業した繊維会社の倉庫を借り、マレリー製靴会社を創立します。時代は、家内工業から工業化への過渡期でした。

 創始者であるジョルジョ・マレリーにとっては、手作りから産業化への転換について理解することは難しいことでした。しかし3人の息子たち、アルトゥーロ、ぺピーノ、フェリーチェは、産業人としての意識を持ち、企業を成長させていきました。さらに北イタリアを中心に多くの販売先もでき、事業は発展していきました。それにつれ、この倉庫でも手狭となり、最新の機械も必要となってきました。

 ガララーテにあった、ある靴工場が倒産したことにより、大きな転換期が訪れました。
その土地、工場、機械を、本社工場として購入することになったのです。莫大な購入資金が必要でした。自己資金はもちろんのこと銀行からの貸付も投資して、ガララーテ市のパリーニ通り8番地にマレリー製靴会社の本社を設けました。

 1933年頃には、父を中心とした3人の息子たちは、その販売網をイタリアのみならずヨーロッパ全土へと広げました。エレガントさとクオリティ、堅実さを持ち合わせたマレリーの靴は、時と共に成功の道を歩んでいきました。イタリア国内はもとより、海外の店舗において、人々を魅了していきました。

 3人の息子たちは、それぞれが持ち合わせた能力を生かし、それぞれ役割分担をしました。
アルトゥーロは総務を、ぺピーノは生産を、フェリーチェは販売業務を担いました。
工員は100名。事務職は3名。靴の日産は180足(まだまだ手作りの過程も多くありました。)

 この時期は、総力をあげてマレリー製靴会社の拡大に努力し、イタリアの代表的な靴会社となりました。マレリーの靴は大小の都市の店で販売され、それぞれトップクラスの靴店で扱われるようになりました。
またこの頃は、注文が生産を上回っていました。超多忙な状況でしたが、3人の息子たちはそれぞれ家庭も築きました。

 1936年、ペピーノはルイージャ・リナルデイ・メディチと結婚。1937年、アルトゥーロはカンザーニ・ジュセッピーナと結婚。1938年、フェリーチェはマリア・バヨーニと結婚しました。
 社会情勢は様々な事件をはらみ、時代は第二次世界大戦へと向かうことになります。