マレリーの歴史
1906年に、北イタリアの小さなガララーテという町で初代ジョルジョ・マレリー(Giorgio Marelli)が皮革問屋(Pelletteria)として営業していた店を完全手作業の紳士靴屋として開業しました。そして混乱の第一次世界大戦中も靴を作り続けました。次第にその品質が認められ、1926年に手工業的生産(Artigiano)として工場化しました。


初代ジョルジョ・マレリー氏

職人マークの原画


マレリー創業当時の建物

創業時のロゴ CALZATURE(靴屋)

これが現在のマレリーの原点です。その創業の場所にはまだ懐かしい建物(現在マレリー家は使っていません)がそのまま残っています。その後、パリーニ通り8番地へ引っ越しました。今でもガララーテ駅前でタクシーに乗り「パリーニ通り(Via Parini)8番地」と言うと「ああ、マレリーですね」と言うぐらい有名です。1940年ごろにはイタリア国内で有名な高品質紳士靴メーカーとなり、創設者の三人の息子(Arturo, Peppino, Felice)が、財務、生産、営業と責任分担して盛り上げていきました。ビブラムソールで有名なビブラム社やニットで有名なミッソーニ家(共にガララーテ出身)との親交、第二次世界大戦前のアメリカの有名グッドイヤーメーカー(Flosheim, Johnston & Murphy, Bostonian等)の下請け時代などの技術と経験を生かし、第二次世界大戦中は軍靴の製造に特化していました。終戦とともにイタリアンモカシン+マッケイ縫いという専門分野に進出しました。その後も、マレリーブランドの成功により「イタリアンモカシン+マッケイ縫いのトップメーカー」という評価をもらい、Christian Dior, Celine, Clarks, Bruno Magli, Ferragamo, Bally, Rieker, SalamanderなどのOEM生産や、技術指導をしてきました。戦後から1975年ごろまではイタリアにおけるヨーロッパ、アメリカへの靴輸出の三大メーカーの一社となりました。

数ある欧米ファッションブランドの中でも、創業家が引き続き経営して100年を迎えたブランド(マレリーは現在7代目)は非常に少なく、ブランド名を名乗る人がいないブランドがほとんどです。しかし、長く続けばよいと言うものでもありません。マレリーはその哲学に基づいた「もの作りDNA」を世界各地の製靴技術に分け与えています。一番の弟子が日本のマレリーであることは言うまでもありません。1955年以来3代目社長のペピーノ(Peppino)の数度の来日などで、株式会社ユニオン・ロイヤルと技術提携し、日本で始めてマッケイ製法を紹介して以来50年以上に渡り、日本の製靴業界にイタリアの靴つくり精神を提案し続けています。1980年に日本人の足、歩き方にあうように日本の整形外科医とのコラボレーションで生まれた「マレリー・リフレッシュー」シリーズは、改良に改良を重ね2005年にその進化の究極型である「新マレリー・リフレッシュー」となりました。


萌・水口(中央)とペピーノ・マレリー氏(左から2番目)
1968年頃

ガララーテのマレリー製靴工場1970年頃

1906年から、初代ジョルジョ・マレリーが純粋にもの作りにかけた努力と情熱の証として代々受け継がれているポリシー=哲学である"Eleganza Solidita" (伝統的なイタリアエレガンスと確固としたもの作り)は、103年たった今もマレリーの全ての製品に生かされています。

このもの作りの哲学を受け継いだ靴からコーディネートしたマレリー服飾製品、ネクタイ、スカーフ、マフラー、傘、手袋、ベルト、革小物、バッグ、スリッパ、タオル、靴下、時計、眼鏡等、機能性の追及から始まり、イタリアンエレガント溢れるデザインで展開されています。マレリーの靴の履き心地を知る人ならば、きっとマレリーの靴を履いたときと同じ、満ち足りた安堵感を感じてもらえることと思います。足に馴染む、手に馴染む、身体全体に馴染む、この違和感のない安堵感こそが、1906年以来マレリーが培って来た103年を超える信頼の歴史の重みなのです。


萌・水口とジョルジョ・マレリー氏(ペピーノ・マレリー氏の長男) 2008年

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